2006年11月26日日曜日

聖霊降臨後最終主日 「雪の便りを聞くたびに」





今年の冬は雪が遅く、札幌の初雪は11月11日だったと思います。こんなに遅いのは昭和36年以来44年ぶりだそうです。しかしどんなに初雪が遅くても、毎年11月に入ると北海道のあちこちから、雪の便りが聞かれます。そして雪の便りが聞かれるようになると、私たちキリスト信仰者は勿論のこと、世間一般の人たちもクリスマスの準備を始めます。

また教会の暦からいますと、来週12月3日から待降節ですが、私たちキリスト信仰者は、この世の人たちとは違った意味でのクリスマスの準備に忙しい日々を送ることになります。そして雪の便りを聞くたびに冬の季節が近いことを知り、冬の季節になると私たちはクリスマスが近いことを、毎年、必ず思い起こすのであります。

ですから私たち北海道に住む者にとっては、少し大袈裟な言い方をしますと、雪の便りはクリスマスが来ることの前兆であると言えます。さてこのように、父なる神が創造される自然の営みを通して、私たちキリスト信仰者は勿論のこと、この世のすべての者たちは、この世に終わりがあることを知らなければならないと、主イエスは教えられます。

なぜなら世の終わりは、信仰のある者も、ない者にも避けて通ることが出来ない神の出来事だからです。主イエスは言います。《「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。》(24節~25節)。これはいわゆる天変地異を意味しますので、これが世の終わり、だと私たちは考えています。

しかし主イエスの話はこれでおわりません。主は「そのとき」と言います。つまり《 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」》(26節~27節)と語ります。そして、これが世の終わりだと主イエスは教えられます。

つまり世の終わりとは、天変地異で天地が揺れ動くことではありません。天地が揺れ動くことは世の終わりの前兆なのであって、人の子、すなわち再臨のキリストが来られることが、世の終わりなのです。主イエスが言う、太陽は暗くなり、月は光を放たず、 星は空から落ち、天体は揺り動かされる、というのが具体的にどのようなものが分かりません。

ただ様々な自然の営みに異変が起こることが、世の終わりの前兆を示していることは確かです。でもそのように言うと私たちには思い当たることがあります。つまり異常気象や天災はもうすでに何回も何回も起こっています。でも世の終わりは来ません。だから聖書では、いろいろと恐ろしいことを言って脅かしているが、結局は世の終わりは来ないのではないかと、私たちは考えてしまいます。

でも主イエスは、これらのことが起こるのは世の終わりではないが、その前兆であることに注目せよと教えられます。私たちが、雪の便りを聞くたびに、クリスマスが近いことを知るように、自然の営みに変化が起こるたびことに、この世に終わりがあることを思い起こさなければなりません。また、世の終わりとは、恐ろしいことが起こることではありません。

そうではなく栄光のキリストが来ることが、世の終わりです。また栄光のキリストは、天使を地の果てから天の果てまで遣わして、主キリストに選ばれたキリスト信仰者を呼び集めるのです。また地の果てから天の果てというのは、世の終わりのときには、その時、地上に生きている信仰者と、天に召された信仰者を、栄光のキリストのもとに集めるのが、世の終わりなのです。

これによって世の終わりは、恐ろしいことが起こる時、ではないことが分かります。それと同時に主なる神は、様々な方法を用いて世の終わりが近いことを知らせているので、それに気付くようにと主イエスは言われます。つまり《「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。》(28節~29節)。

イスラエルでは、いちじくの木はどこにでもあります。そのいちじくの木に葉が茂ると、イスラエルの人は誰でも夏が近いことが分かります。そして私たち北海道に住む者は、雪の便りを聞くたびに、誰でもクリスマスが近いことが分かります。雪が全く降らないままで冬の季節が終わることはありません。雪が降ると冬が来る。冬が来るとクリスマスが来ます。

だから私たちにとって、雪の便りはクリスマスの便りであり、冬の季節が来ることは、クリスマスが来ることの前兆でもあります。またイスラエルの人がいちじくの木から、世の終わりを知り、世の終わりには栄光のキリスト来られることを知るように、私たち北国に住む者は、雪の便りを聞くたびに、クリスマスを知り、世の終わりがあることを知り、栄光のキリストが私たちキリスト信仰者を呼び集めるために来られることを知ることが出来るのであります。

先ほども申し上げましたように、主イエスが語られるような、異常気象や天災などはずっと昔から何回も何回も起こっています。また世の終わりではないかと思うような事件や事故も今まで、幾度となく繰り返し起こり続けています。でも世の終わりは来ませんし、栄光のキリストも来られません。相変わらずこの世には、悪がはびこりキリストの福音は暗くされています。

ということは、いろいろ言っても、やっぱり結局は、このままずっと世の終わりは来ないで、何となくいつまでもダラダラとこの世は続いていくのではないかと、人々は考えています。しかし使徒ペトロは語ります。《 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。》(ペトロの手紙Ⅱ3章9節~10節)。

つまり今まで来ないことが、これからも来ないことの保証にはなりません。また主イエスも人の子は入り口も近くに来ておられる、と言います。今年も雪の便りととともクリスマスは確実に来ることを知ります。それと同じように、我々、北の国に住むキリスト者は、雪の便りを聞くたびに、栄光のキリストが私たちのすぐ近くに来ておられることを信仰によって知らなければならないのであります。

アーメン





新約聖書 マルコによる福音書 13章24~31節

13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。13:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。13:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」