2006年9月24日日曜日

聖霊降臨後第16主日 「自分のこととして」




[日曜クリスチャン]という言葉があります。でもあまり良い意味で使われていません。これは、日曜日に礼拝に来たときだけ、自分はキリスト信仰者であることを意識するが、礼拝が終わって教会の玄関を出た途端、それをすっかり忘れ、週日の日常生活のなかでも、自分がキリスト信仰者であることを思い起こすことが殆どない。そんな信仰者を、日曜クリスチャンというのだそうです。

2006年9月17日日曜日

聖霊降臨後第15主日 「開かれていく」




先週の金曜日(15日)に、寿都教会と岩内集会所の礼拝奉仕に行ってきました。そしてこの二つの町に行くために、途中、いくつかの市や町を通過しました。でも、それらの途中の市や町を車で通過しただけです。さて本日の箇所に《それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。》(31節)と書かれています。

2006年9月10日日曜日

聖霊降臨後第14主日 「悪より救い出すパン」




主の祈りは、主イエスキリストが私たちに教えてくださった祈りです。その祈りのなかで祈られることはすべて、私たちの信仰と日々の信仰生活に欠かすことの出来ない重要な事柄が取り上げられています。これは私たちの祈りの手本であり、模範となるものです。ですから主の祈りで祈られていることは、私たちの日々の生活においても、常に覚えなければならない大切な祈りの事柄です。

2006年9月3日日曜日

聖霊降臨後第13主日 「口を証しの扉として」






先週、山の手教会の礼拝説教を通して、誤信と戦うキリストの姿について学びました。この誤信とは「誤って信じること」という意味です。主イエスは、弟子や群衆、また私たちキリスト信仰者が、より深くより強く主を信じることができるように配慮しつつ、神の福音を語ってくださいます。しかしそれと同時に、誤った信仰に陥らないように教えてくださいます。