2006年4月30日日曜日

復活後第2主日 「日々の糧は主からくる」




毎週、熱心に礼拝に集われている教会員の方でも、週日の生活で祈りと御言葉のみの生活をしているという方は少ないと思います。勿論、キリスト信仰を中心に、そこにこの世的な事柄を上手に取り込んでおられると思います。でも信仰生活に、この世的なことを上手に取り込んでいると言えば聞こえはいいのですが、本当に私たちは上手に取り込んでいるのでしょうか。

2006年4月23日日曜日

復活後第1主日 「信じなかった者の信仰」




主キリストの教会には、カトリックやプロテスタント系の教会など多くの教派・教会があり、それぞれの違いや特徴があります。しかし最も中心的な部分は一致しています。例えば、イエスキリストは復活したという信仰においては一致しています。けれども主イエスキリストの復活の信仰は、最初からあったわけではなく、最初から確立し、一致いていたわけではありません。

2006年4月16日日曜日

復活祭 「外から来る幸い」




先日、キリスト教関係の用品や書籍を扱っている書店に立ち寄ることがありました。時節柄、イースターに関する用品がたくさん置かれてあり、幾種類ものカードや葉書もありました。そのカードや葉書には[イースターおめでとう]とか[ハッピーイースター]などと書かれていました。日本語では、めでたいことがあったときには、おめでとう、という一つの言葉しかありませんが、英語には、おめでとうという意味を表す言葉がいくつかあるのだそうです。そのなかで主なものに二つの言葉があります。

2006年4月9日日曜日

受難主日 「わたしかも知れない」




今日の主日は、主イエスキリストの十字架の苦難の出来事を覚える、受難主日です。そしてこの主日に与えられた福音書の御言葉は、マルコ14章1節~15章47節です。この一連の箇所を読みますと、主の十字架の出来事には、実に多くの人々、また多くの種類の人々がかかわっています。例えばイエスに敵対する者、殺そうと企てる者、その企てに乗って騒ぐ者、無関心な者、自分の意思とは関係なく巻き込まれた者、あるいは、主を信じていたが怖くなって逃げた者、イエスを裏切った者など様々です。

2006年4月2日日曜日

四旬節第5主日 「同じ根から出ている」




主イエスキリストを信じる者と信じない者との間には、互いに理解し合えない深い溝のようなものがあると思っている人たちがいるようです。しかもそれは私たちキリスト信仰者ではなく、キリストを信じない一般の人に多く見受けられるようです。つまり一般の人たちをクリスマスなどに教会に誘うと、「教会は敷居が高い」とか「教会は立派な人が行くところだ」などの答えが返ってきます。