2006年7月16日日曜日
待降節第6主日 「聞く力を持つ」
今日から日曜学校が夏休みになりました。そして毎年、夏休み前に日曜学校では教会の野菜畑の草取りをします。でも畑はいつも手入れされていますので、子供たちが草取りをするほど草は生い茂っていません。にも関わらず子供たちに草取りをしてもらうのには理由があります。それは、自分たちの植えた花や野菜などが、自分たちが知らないうちに成長するのは、主なる神がそれらの野菜などに命を与えて、成長させるからであることを学んでもらうためです。
そしてそれらの野菜の収穫ために、自分たちも草取りなどの作業に参加することが出来ることを体験してもらうことが目的です。特に、一つの野菜に命を与えそれを成長させるのは主なる神であるということは、現代の学校教育では決して教えられることのない大切な事柄です。ですから日曜学校では、すべての生命体に命を与える神の存在を、子供たちに教える必要を強く感じています。
その意味では本日の箇所で語っている主イエスの譬えは、私たちの日曜学校の教育目標に合致しているといえます。主イエスは言います。《また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」》(26節~29節)
でも良く見ると、この譬えには特に目新しい事柄がないように思われます。しかし主イエスがこの譬えを語るにあたって、ある注意事項を話しています。それは《聞く耳のある者は聞きなさい。」》(マルコ4:23)と、《「何を聞いているかに注意しなさい。》(マルコ4:24)と語っています。
つまり「成長する種」や「からし種」の譬えを聞くときに、あなたは何を聞いているのか。また何を聞こうとしているのか。そのことにあなたの注意を傾けなさいと言い、キリストの福音を、聞く力を持ちなさい、と主は言われます。そして主の御言葉をより良く、聞く力を持つ、ためには主キリストへの信仰が必要であることは言うまでもありません。
そのキリスト信仰によって本日の御言葉を聞くとき、主イエスは次のような語り出しで始めていることに気付きます。それは「神の国は次のようなものである」と言う言葉です。つまり人が種を蒔いてそれが成長して収穫を得るということは、神の国を表しているというのです。そしてこれは、私たちが日曜学校で伝えようとしていることと、同じ立場から語られていると理解できます。
さてここで主イエスは、神の国は人が種を蒔いて成長するようなものだ、と言います。この種とはキリストの福音であり、蒔く人とは、主イエスキリストご自身であり、またキリストの福音を宣べ伝えるすべての福音宣教者を意味します。またこのキリストの福音という種は、誰に向かって蒔くのかというと、キリスト教会に集うすべての求道者であり、また私たちキリスト信仰者に蒔かれます。
それが神の国なのです。でも神の国というのは、信仰の生涯を全うして天に召された者が集うところ、と何となく思っています。しかし私たちはこの世に生きている者であり、一人の罪人であってまだ信仰の生涯を全うしていないし、天にも召されていません。でも福音の種が蒔かれ、それを信じてこの世に生きる者に向かって、あなた自身の生き様が、神の国の出来事だと主は言われます。
つまり神の国というのは、天に召された者だけが集うところではなく、この世に生きる私たちが日々の生活の中で、福音を聞いて生きている、その信仰が成長している、そのようなキリスト信仰者に向かって、あなたの心のなかで起こっている信仰の成長が神の国であり、神の国の出来事なだと主は言われます。つまり私たちキリスト信仰者は、この世に生きると同時に、神の国に生きる者なのです。
そのようなことを、成長する種の譬えから聞きなさいと主イエスは言われます。しかもその信仰の種であるキリストの福音が、私たちキリスト信仰者たち一人一人のなかで、どのように成長していくか、それは一人一人違っている。また自分のなかでキリストの福音がどのように成長し、信仰が育っているのか、私たち自身もよく知らないのだ、と主は教えられます。
しかし言えることが一つあります。それは福音の種は、種自体に成長する力があり、私たちの心のなかで成長して育て、豊かに実を結んで信仰の実りとしての収穫である神の恵みと祝福を受けることができる、それだけは確かであり、それが神の国の出来事です。そして主イエスはこの「成長する種」の譬えを通して、キリストの福音を、聞く力を持つ、ことを教えられます。
ですから主は、同じ観点から今度は、からし種、の譬えを語ります。《 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」》(30節~32節)と教えます。
すなわち神の国では小さな一人の罪人に福音の種が蒔かれると、その種は小さくても罪人のなかで成長して信仰が育ち、やがて多くの人々にキリストの福音を宣べ伝える宣教者となるほどに大きく育てられていく、それが神の国なのです。しかもこのような出来事は、私たち一人一人に確実に起こっているのです。
さらに主イエスは《 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。》(33節~34節)つまり主イエスは私たちの聞く力に応じて譬えを語ってくださると同時に、私たちの聞く力がどんなに小さくても信じることが出来るように教えて下さるのであります。
でもそうなると一つの譬えから、10を聞く者もあれば、30を聞く者もいるということです。このことについて主イエスはマルコ4章20節で《良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」》と語っています。
ですから、私たちは主の譬えを聞いて、30倍・60倍・100倍を聞くことができるように、キリストの福音を、聞く力を持つ、信仰者に育てていただけるよう祈り求めたいと思います。
アーメン
新約聖書 マルコによる福音書 4章26~34節
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。4:34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。