2006年6月4日日曜日
聖霊降臨祭 「信仰を支える助け主」
先週(5月28日)の説教主題は「主は祈り続ける」でした。そのなかで主イエスは、何を祈り続けているのかについて学びました。また主が祈るきっかけとなったのは、主が弟子たちやキリスト信仰者に語ったキリストの福音を、この世の人々が憎んだことでした。またこの世の人々が主キリストの福音とそれを信じる信仰者たちは、天の御国に属する者となったからだと、主イエスは語っています。
また主イエスキリストご自身も、真の神として父なる神からこの世に遣わされたのであって、この世から生まれでたものではありません。ですからキリストの福音とその信仰者に反対するこの世の者たちから、憎まれ迫害されると、主は教えられます。それら憎む者たちから、弟子たちやキリスト信仰者たちを守って欲しいと主イエスは、今も祈り続けるのであります。
でもそのように父なる神に祈るなら、いっそのこと弟子たちや私たちキリスト信仰者を、この世の者の迫害の手が及ばないような、別天地に住まわせれば良いではないかと思われます。しかし私たちが、この世から憎まれ迫害されることを知りつつ、主イエスは私たちをこの世に遣わすと言われます。なぜなら、キリスト信仰者は、この世に真の神の存在を告げ知らせる使命があるからです。
けれども、そのような使命が与えられているがゆえに、すべてのキリスト信仰者はこの世から憎まれるのです。また主キリストご自身もまた、この世から憎まれ十字架に掛けられて殺されることになるのです。そのことのより具体的な理由を主イエスはヨハネ15章18節~27節において語っています。
そして憎まれる理由について次のように結論付けています。《それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。》(25節)。ここでいう律法については詩篇69編5節に書かれていますが、いづれにしても、この世が主イエスキリストとその信仰者を憎む理由は何もないのだ、と主イエスは語られます。
しかしたとえそうであっても、この世が私たちキリスト信仰者を憎むことに、我々は全く無防備であってはなりません。なぜなら主イエスキリストとその福音を憎むこの世の力は非常に強いからであります。ですから主イエスは、わたしたちの信仰を守り導き、支え続ける助け主が、父なる神のもとから遣わされることを明らかにされます。
しかもその助け主は、理由もなく憎み続けるこの世に向かって、キリストを証しする真理の霊であります。この神の霊としての、弁護者・助け主について《わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。》(26節)と教えられます。
つまり真理の霊である神の聖霊は、この世に向かって証しをするだけでなく、まず私たちキリスト信仰者に証しをします。すなわち主イエスキリストは確かに神の子であって、すべての罪人の救い主であり、その救いの業と恵みは神から来るものである。あなた方が信じる主イエスキリストへの信仰は全く間違っていないことを、真理の霊は私たちに告げ知らせます。
その真理の霊は、私たちの信仰を守り支えて下さいます。ですから、神の聖霊という助け主は信仰の支え主として、私たちのところに来られるのであります。さらにこの信仰の支え主なる神の聖霊は、主イエスキリストとその信仰者を憎む、この世に向かっても証しをします。しかも、この世と妥協したり、歩み寄ったり、互いの違いを認めるような形ではありません。
この世がどんなに抵抗しても、また主キリストを厳しく拒否しても決して妥協をしない強い意志と力によって、この世に証しをする霊なのです。その圧倒的な力によって、この世に証しをし、またすべてのキリスト信仰者を守り支える弁護者、それが聖霊なる神です。その聖霊なる神が、確かに私たちのところに降ってきたことを喜び祝うのがペンテコステ、すなわち聖霊降臨祭であります。
この神の聖霊が私たちの、信仰を支える助け主、であり、この助け主から与えられる霊の力によって、私たちもこの世に向かって証しをする器として立てられます。そのことについて《あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。》と主は言われます。それによって、この世から、キリストの福音を信じる、新しいキリスト信仰者が立てられていくのです。
その意味では私たち自身が、かってはこの世の者たちと一緒になってキリストの福音を憎んでいました。またかっては、この世の人々と一緒になって「私はキリストを知らない」と言い続けていました。しかし私たちは、聖霊の圧倒的な力によって、また信仰の兄弟姉妹の証しによって、キリストを信じる新しい信仰者として立てられた一人だったのです。
そしてこの聖霊なる神の導きによって、今日、私たちの群れに新しい洗礼者が与えられました。つまり聖霊なる神が、一人の新しい姉妹をこの世から連れ出し、私たちの群れに加えて下さったという具体的な業が、今日、私たちの教会に起こったのです。しかもこの神の業に私たち自身も、キリストを証しするという奉仕によって参加することが出来たことを、感謝したいと思います。
でもこの世の只中に生きる者が、神の救いに与ることは、決して簡単なことではありません。また私たちが一人のキリスト信仰者として生きるとき、そこには様々な躓きが横たわっています。そのことについて主イエスは《 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。》(1節)と語ります。そしてこの世が私たちを躓かせる理由について主は次のように教えられます。
《彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」》(3節~4節)とあります。
そしてここで言う[その時]というのは、主キリストが十字架に架けられた時、という意味ですが、私たちキリスト信仰者にとっての、その時、というのは、様々な信仰生活の節目の時であり、いろいろな出来事がある度毎に、私たちが躓かないために聖霊なる神は、私たちの、信仰を支える助け主として、私たちと共に歩んでくださるのです。
しかも、信仰を支える助け主なる聖霊なる神は、私たちの信仰を守り保つだけではありません。この世からの躓きによって、壊れかける信仰を壊れないように支え続けるのです。その、信仰を支える助け主、がいつも私たちと共にいることを思い起こすようにと、主イエスキリストは、本日の箇所を通して語って下さるのであります。
アーメン
新約聖書 ヨハネによる福音書 15章26~16章4a節
15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」