2006年6月11日日曜日

三位一体主日 「この風の中に」




今の世の中は、ボーダーレスの時代だそうです。そしてボーダーレスは良いことだとの風潮があります。このボーダーレスというのは、[境目がない]とか[境界線がない]という意味だそうです。しかしボーダーレスがよいかどうかは、時と場合によると思います。例えば、今は24時間営業の店があることは常識になっています。これは確かに便利です。

しかし人間が昼夜の別なく働くことは、好ましいことではありません。なぜなら神は、人間の心も身体も、日が上ると働き、日が沈むと休むように創られたからです。ですから夜になってから動き出すことは、そこには何らかの不自然さがあり、それは好ましいことではありません。さて、今日の福音書を見ますと、夜になってから主イエスのもとを訪ねた、ニコデモという一人の律法学者がいました。

なぜ彼が夜になってイエスのもとを訪ねたのか、その理由ははっきりしませんが、彼が夜になってから主を訪ねようとする心にも、何らかの不自然さがあったと想像されます。それは人から教えを請うのは恥ずかしいという思いと、でもそう思いつつも、主イエスに聞きたいことがある、という矛盾した思いがあったのではないでしょうか。

そのような思いを抱えつつ、ニコデモはイエスに質問をします。《ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」》(2節~3節)とあります。

でもニコデモは、イエスの答えの意味が全く理解できていません。またイエスが神から来ている教師だ、と言っているのですが、彼は主イエスを子なる神であることに気付いていません。なぜ彼は、イエスを神の御子であることが理解できず信じることができないのか。それはニコデモは水と霊によって、新しく生まれていないからだ、と主イエスは答えています。

つまり彼は、主イエスキリストの言葉とその御業を、人間的な立場から理解しようとしています。しかし主イエスは言います。神の業を知るためには、神の側から見るのでなければ分からないし、神の言葉としてのキリストの福音は、神の側に立って聴くのでなければ、信じることはできない、と主イエスは教えられます。

そこでニコデモは、一度うまれた人間が、母親の胎内に戻って生まれ直すことができるのか、と訊きます。それに対して、《 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。》(5節~6節)と教えられます。

ニコデモは、人が生まれるとは母親の胎内から生まれることと考えています。でもそれは当然です。私たちはそれ以外のことを知りません。しかし、人が生まれるその生まれ方には、二つ、あると主は言います。一つは母親から生まれること。もう一つは水と霊から生まれることです。これはすなわち悔い改めの洗礼による、新しい生まれ方であり、キリスト信仰者という新しい命を持つ者のことです。

キリストを信じない者は、母親から生まれやがて身体の死によってその命が終わります。主イエスが言う、肉から生まれるものは肉である、とはこのようなことを意味します。しかしキリストを信じる者は、母親から生まれ身体の死をもって終わるのではありません。洗礼を受けたそのときから、神の聖霊は、身体の命とは別のもう一つの命を与え私たちを、その命に生きる者とされます。

つまりキリスト信仰者は、神の霊によって創られた新しい霊の命という、もう一つの命に生きる者とされるのです。主イエスが、霊から生まれたものは霊である、と言ったのはこのような意味です。そして肉の命が終わっても、霊の命はそれで終わりません。この霊の命は、神の国に招き入れられ、永遠に生きる命として神の御国で、永遠に神の平安と慰めのなかに生きるのです。主イエスが、だれでも水と霊によらなければ神の国に入ることが出来ない、と言われたのはこのことを意味しています。

そして今日は特に、今は天に召された信仰の兄弟姉妹を覚える召天者記念礼拝を守っています。それらの信仰の兄弟姉妹は、まさに主イエスキリストが語っておられる水と霊によって新たに生まれた霊の命によって、神の国に入った方々であります。またさらに私たちは、主イエスが語られた、次の言葉に特に注目をしたいと思います。

それは《『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」》(7節~8節)です。つまりあなた方は、神の霊の風がどこから吹いて、どこに向かって吹くのかを知ることができないと主は言われるのです。

しかしそうでしょうか。確かに主キリストを信じない者、肉の命しか持たない者はそうかも知れません。でも少なくとも、水と霊によって新しく生まれた私たちキリスト信仰者は、神の霊の風がどこから吹いて来るのか、またどこに向かって吹き続けるのかを知っています。なぜなら、私たちキリスト信仰者は霊から生まれた者だからです。

すなわち神の霊の風は、木の葉を揺らす風のように吹くのではありません。そうではなく、まさに神の聖霊の風は、主なる神から吹いて来ます。そしてこの神の風は、霊の命によって生かされているキリスト信仰者に向かって吹いてくる風なのです。ですからすべてのキリスト信仰者は、この風の中に、あります。

またこの神の風は、すべてのキリスト教会に向かって吹いています。つまりこの山の手教会に向かって、神の風は吹いているのであります。そして私たちは、この風の中に、生かされています。さらにキリスト教会にあるすべての人たちに向かって吹いています。つまりキリストを信じる者、またキリストを信じようとする者たちに向かって、神の風は吹き続けるのです。

ですから今日の主日礼拝に、また召天者記念礼拝に集う方々に向かって、神の風は吹くのであると主イエスは語られます。そして私たちはまさに、この風の中に、あって平安であり、神の恵みと祝福のなかに生かされているのであります。

アーメン





新約聖書 ヨハネによる福音書 3章節~12節

3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。